新歓ブログ 2年 DF佐藤隆春

このブログを見つけそしてページを開いて頂きありがとうございます。
とても長い文章ですが最後まで読んでいただけると幸いです。
前置き失礼いたしました。新2年DFの佐藤隆春です。
まず初めに平素より弊部の活動に多大なるご声援、ご支援いただき誠にありがとうございます。そしてこれからもどうか弊部の活動へのこれまで以上の多大なるご声援とご支援をどうぞよろしくお願いいたします。
どうしてこの部活を選んだのか?
-駒澤大学男子ラクロス部に4年間を捧げたいと思えたから。
どうしてこの部活を続けられているのか?
-同期が好きだからだ。
私がこれから話す内容はこれらの解答をするに至った経緯である。
私が駒澤大学男子ラクロス部に入部を決めたのは入学式の日のサーフェスの日だ。元々、大学進学後も部活を続けたいと考えていた。というのも私は中学・高校と約6年間(実質3年間)バドミントン部に所属していた。しかし、周りとの温度感の違いや実力不足、さらには私が中学3年時に蔓延した新型コロナウイルスの影響で中学生最後の年さらには高校生最初の年の活動すらなかなかさせてもらえず、後悔が多く残るかたちで6年間は終わった。まさに不完全燃焼だった。
ただ、6年間の部活を通して得られたものも多くあった。その一つが仲間だ。部活を通して同じ目標を掲げ、汗もそして涙も一緒になって流してきた仲間だ。その一人ひとりがとても大切な仲間であり今もそしてこれからも大切にしていきたいと心の底から思える仲間である。
つまり私が大学でも部活を選んだのは中学・高校時代の後悔を晴らすためそして部活を通した新たな仲間に出会うためである。
ではどうして駒澤大学男子ラクロス部に4年間を捧げたいと思えたのか。
一番の決め手は部の雰囲気だ。
3号館の6階で声をかけられ気づいたら教室に入って説明を聞いていた。そこで強調して伝えられたのがラクロスの魅力や部活の良さではなく駒澤大学男子ラクロス部の雰囲気の良さであった。
「雰囲気だけは自信があるからぜひ体験会に来てほしい。」
私は「すごい自信だな。」と驚くとともにその熱弁っぷりに正直圧倒された。
私は迷うことなく体験会に行った。行ってすぐに感じた。このことを言っていたのかと。そこから入部まで至った流れはそんなに覚えていないが、体験会を重ねるごとに入部したいと思うようになっていき、いつしか選択肢が“駒澤大学男子ラクロス部”か“それ以外”になっていた。そして“それ以外”を選ぶわけもなくこの駒澤大学男子ラクロス部に入部することを決めた。
入部してから今まで約1年間は短いようで長い、いやとても長い時間を過ごした。
まず、入部して数ヶ月経ち同期の間で熱量の違いによる対立が起きた。実は私自身中学・高校と同じような対立で失敗していたため、事態が起きた時はあの時のトラウマが蘇ってきた。
「またこれで失敗してしまうのか。」と。
対立は中学・高校と同じくそう簡単には収束しなかった。しかし、時間が経つにつれて中学・高校とは何かが変わってきた。それはこの対立においてどっちつかずの人が変わってきたことである。すると、流れは一変し対立は解消されていった。しかしながら犠牲もあった。退部者である。もちろん入部当初の18人全員で引退できるとは思っていなかったが、心のどこかでは全員で引退までいきたかったという思いがあったのは事実だ。ただ、退部者が出てより一層同期のやる気度合いも変化してきた。
そして、一年生の初めての大会であるサマーが8月に終わりいよいよそれぞれが各々のポジションに振り分けられ、一年生は10月の次なる大会合宿に向けてこれまで以上に熱量が増していっていた。
“こと”が起きたのはその渦中であった。
あれは1週間後に迫る大会合宿に向けて上級生と練習試合をしている最中であった。私は1週間前に購入したばかりのクロスを抱き抱えながらグラウンドに倒れた。正直今までに感じたことのない膝の中で何かが動く感触とかなりの激痛が走った。怪我をしてすぐグラウンドで私はもうしばらくプレイできないことを悟った。そしてその予想は残念ながら的中してしまった。
“右膝前十字靭帯の損傷”
正直、メディアを通してしか聞いたことがなく有名なスポーツ選手がよくする怪我ということ。そして、長期離脱が余儀なくされるということしか知らなかった。
医者からは本気で今後もスポーツをしたければ手術が必要で競技復帰には最低でも10ヶ月かかることが告げられた。もしここで諦めたら中学・高校の後悔を晴らせないし何より大好きな同期たちともうラクロスができない。私は医者に告げられ迷わず手術を選択した。そしてリーグ戦が終わった1週間後に手術が行われそこから長い長いリハビリ生活が始まった。
術前は何の気なく歩けていたのだが、術後は歩くこともままならなかった。こんな状態で本当にプレイできるようになるのか最初は不安でしかなかった。ただ私がリハビリを毎日しているように同期も毎日練習に励んでいた。それは間違いなく私を前向きな気持ちにさせてくれた。新たなコーチ陣のもと部全体が特に同期たちが日に日に成長していた。それは外から見ていてすごく感じていた。そんな彼らに負けじとリハビリに励んだ。
実は私は怪我をしてから一つ決めていたことがある。
それは”毎日練習に行くこと”だ。
怪我をしていてもグラウンドでチームのためにできることはある。
“今必要とされていなくてもいつか必要とされるその時のために必要になろうとする姿勢が必要だ”
そう思った。
何とかしてチームのために動きたかった。リハビリもそのうちの一つに過ぎないと思う。もちろん自分のためではあるけれどそれは同時に駒澤大学男子ラクロス部のためでもある。しかし今はまだそうとは言えないのが正直なところだ。実際、同期とはかなりの練習量の差がある。ただ、これは自分次第でどうにでも埋めることができる差だと思う。そしていつかプレイでチームの勝利に貢献したい。
復帰まで残り3ヶ月になろうとしている。
率直に楽しみだ。
今はただもう一度あのグラウンドで駒澤大学男子ラクロス部の一員としてそして何より大好きな同期たちとラクロスがしたい。そして、チームが勝つためにより上にいくために必要とされる選手になりたい。これが私の現段階の個人的な目標である。
駒澤大学男子ラクロス部における25シーズンは波乱の幕開けとなった。チームの核がいなくなり、新3年生が指揮をとることになった。コーチ陣に関しては新たにラクロス界で超有名なお三方である長妻さん、出田さん、和氣さんに来ていただいた。そして、こちらもラクロス界では広く名の知られたじゅんぽさんも正式に監督として招き入れるかたちとなった。
そうした中で掲げた駒澤大改革
ありとあるゆることをいっしんして臨んだ25シーズン。
目指すは3年ぶりとなる2部入れ替え戦。
この改革の鍵を握るのは間違いなく我々新2年生の代である。
これは組織面でもプレイ面でも言えることだ。
もう先輩を支える下級生のフェーズは終わった。今度は引っ張っていく立場に変わる。新たに入ってくる後輩をそして駒澤大学男子ラクロス部全体もだ。
そのためには新2年生全員が大改革を遂行していく”覚悟”と一人一人が大改革を成し遂げる当事者であるという”自覚”を持つことが不可欠である。
この大改革の成否は残念ながら外からの判断が全てだ。つまり求められるのは結果だ。2年間で2部昇格を成し遂げられなければ”駒澤大改革”は言葉だけが一人歩きして終わる。
こんなに主将がコーチが監督が幹部が本気になって駒澤大改革を成し遂げようと色んなところで尽力している。
我々はそれを静観してはならない。
我々も駒澤大改革の当事者であり、1つのpieceだ。
ともに改革を駒澤大改革を成し遂げるためのpieceである。
最後に
私は2部昇格で止まるつもりはない。
もう一つ上へいきたい。いや、連れていきたい。
大好きな同期たちとそして後輩と3年後に関東ラクロス界の1番上のステージで闘っていたい。
そのためにも今年は何としてでも入れ替え戦にはいかないといけない。そしてそこで勝つ。
これが個人的なチーム目標だ。
そして駒澤大改革のその第一歩として私は新歓があると思う。今年の駒澤大改革を成し遂げるためにそして近い将来、駒澤が1部で戦うために。
さぁ未来の駒澤大学男子ラクロス部を背負う新入生よ。一緒に闘おう。一緒に上を目指そう。
今までで1番記憶に残る4年間を過ごそうじゃないか。
最後に言わせてほしい。
大好きな同期たちへ
あと3年。あっという間の3年に感じない3年間にしよう。選手10人マネージャー5人ここから1人も欠けることなく引退まで駆け抜けよう。
3年後、駒澤はどんな姿でどこまで成長しているのか楽しみだな。これから先辛いことや大変なことの方が多いと思う。ただ、それを達成感で打ち消そう。これまでの人生で感じたことのない達成感で。さぁいくよ。駒澤大学男子ラクロス部の新たなpicecを埋めに
駒澤大改革の始まりです。